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陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 意訳 陸奥の織物しのぶもじずり。その乱れ模様のように忍ぶ恋でわたしの心は乱れはじめた。誰のせいだと思う?わたしではなくあなたのせいだよ。 河原左大臣=源融(2年5年)嵯峨天皇の子。源融(みなもとのとおる) みちのくのしのぶもぢずり誰たれゆゑにみだれむと思ふ我ならなくに 古今和歌集 724 / 小倉百人一首 14 陸奥の信夫捩摺(しのぶもじずり)の捩(よじ)れた模様のように 忍ぶ心が、誰のためにこんなにも乱れているのだと思う?「信夫(しのぶ)もじ摺り(ずり)」の石に、いわくありですネ。 源融も虎女を都に連れて行けばいいのに、罪な君でした。・・・諸事情があるのですね・・・ 枕詞「しのぶもじ摺り」に、「いじらしい」雰囲気が なにやら感じられます。
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しのぶ もじ ずり
しのぶ もじ ずり-文知摺(もちずり)は、福島県 福島市に古代より伝わる染色技法である。 文字摺(もぢずり・もじずり)と表記されることもある。 概要 平安時代に詠まれた古今和歌集の中にも「みちのくの 忍ぶもちずり 誰ゆえに みだれそめにし 我ならなくに」(河原左大臣 源融)という歌が登場する。もじ‐ずり × 捩 × 摺 もぢ‐ (1)ネジバナの別名。 《季 夏》(2) ⇨忍摺 (しのぶず) り 大辞泉 ページ での 捩摺 単語。
Mixi詩歌全般・日本古代史・たべもの みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめに ー14- みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに 河原左大臣 ( かわらのさだいじん ) <題しらず 『古今集』・巻十四・恋四> ・・・・・・・・・・・・・・・・・みちのくの しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れむと思ふ 我ならなくに (河原左大臣:百人一首) なすことのなべてよぢれてゆく如き思ひに仰ぐもじずりの花 (大西民子) <農業との関係> 1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月文知摺観音入り口, 芭蕉句碑 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 芭蕉像, 文知摺石は、元禄9年の桃隣『陸奥鵆』に「長サ一丈五寸(約315cm)、幅七尺余(約210cm)」の大きさとあるが、その後次第に埋まり、 明治になると地上からわずかに頭を出すまで(高さ一尺、縦五尺、横三尺)になったという。
(あさか山・忍ぶの里 元禄二年四月二十九・五月一、二日) 第14回「あさか山・忍ぶの里 」 (原文) 等窮 とうきゅう が宅を 出 いで て五里 計 ばか り、 檜皮 ひはだ の宿を離れて あさか山あり。 路よはじめに このテキストでは、小倉百人一首や新古今和歌集、伊勢物語などに収録されている歌「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」の現代語訳・口語訳と解説、そして品詞分解をしています。 ※古今和歌集では、 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑ文法・修辞法掛詞+序詞+歌枕+係り結び from 『古今集』恋四・七二四 by 源融(みなもとのとほる)aka河原左大臣(かはらのさだいじん)男性(25)。。。東北の信夫地方の忍ぶ草、その染め柄の乱れ模様にも似て、ひどく乱れ始めてしまった私の恋模様・・・これはいったい誰のせい?
しのぶもぢずり /6/18 0048 百人一首 河原左大臣 源融 みちのくの しのぶもじずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに 陸奥の信夫の「しのぶもじ絞り」という乱れ染めの布の文様のように、誰かのために私の心は乱れてしまったのです、乱され世界大百科事典 第2版 忍捩摺の用語解説 《古今集》巻十四には源融の〈陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふ我ならなくに〉の歌がある。〈しのぶもぢずり(忍捩摺)〉は信夫郡の名産で,石に草木をこすりつけ,布にその色を移した染物。市内山口地区に文字摺石という石があり,芭P39 しのぶもぢずりの訳として、陸奥の信夫郡を挙げている。 『小倉百人一首』(藤縄敬五著 有朋堂 1992) p 該当歌の語句の説明によると、「信夫もぢずり」の意味として、「陸奥の信夫郡(福島県)から産した乱れ模様の摺り布(後略)」とある。英語が最初に書かれたのは、5世紀に用い
*そして、問題の「しのぶもぢずり」とは・・・ 陸奥國信夫郡で生産された、摺った形の捩(もじ)れたもの。 *ついでに、伊勢の津より産する「綟子(もじ)織」とは・・・ 紗のような薄織で、織り糸は撚り糸だった事からもぢ織りといった。みちのくのしのぶもじ摺りのようにわたしの心は乱れている (あなた以外の)誰のせいで乱れ始めたわたしでもないのに 「しのぶ」は「信夫」と書いて福島県にある歌枕、 「しのぶもぢずり」はしのぶ草で作った染料を用いた染色方法のこと。歌番号:014 歌の作者:河原左大臣 歌の原文・読み 原文 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 読み みちのくの しのぶもちずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに 歌の意味・現代語訳 陸奥の信夫と言うところで作られるしのぶもじ摺りという染め布の
しのぶもぢずり1 晴れた日にはカメラ片手に Milesスマイ大寒 款冬華 Ar Twitter しのぶもじ 百人一首 014 河原左大臣 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに『奥の細道を巡ります。(奥の細道十二文知摺石) 黒塚のある観世寺を出て、国道四号線に出て北上する。 途中、国道115号線を右折し文知摺橋を渡り、 文知摺観音の』二本松(福島県)旅行についてhidebachさんの旅行記です。陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに (十四 河原左大臣) みちのくのしのぶもじ摺りのようにわたしの心は乱れている (あなた以外の)誰のせいで乱れ始めたわたしでもないのに 陸奥の信夫(しのぶ=現在の福島県)地方に
しのぶ‐ずり 忍摺・信夫摺 摺込染 すりこみぞめ の一種。 昔、陸奥国信夫 しのぶ 郡から産出した忍草の茎・葉などの色素で捩 もじ れたように文様を布帛 ふはく に摺りつけたもの。 捩摺 もじずり ともいい、その文様が捩れからまっているからとも、捩れ乱れた文様のある石もちずり観音堂を左に下りていくと、重要文化財の安洞院多宝塔がある。 普通多宝塔といえば三重塔や五重塔が多いが、ここでは二重の塔である。 (安洞院多宝塔21) 宝物館の中には、芭蕉の真蹟「しのぶもちずり」、西郷隆盛の真蹟、陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに (十四 河原左大臣) みちのくのしのぶもじ摺りのようにわたしの心は乱れている (あなた以外の)誰のせいで乱れ始めたわたしでもないのに 陸奥の信夫(しのぶ=現在の福島県)地方に
しのぶもぢずり = 文知摺染め = 「もぢずり」とは、 現在の福島県の旧信夫郡のあたりの名産で、 乱れ模様に染められた布=織物のこと。 摺り衣は忍草(しのぶぐさ)の汁を、 模様のある石の上にかぶせた布に擦りつけて染める方法で 「しのぶずり」とも言われる。Dec , · 忍捩摺り/信夫捩摺り(しのぶもじずり)とは。意味や解説、類語。「忍摺 (しのぶず) り」に同じ。「みちのくの―誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」〈伊勢・一〉 goo国語辞書は30万3千件語以上を収録。政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。信夫(しのぶ)の里の文智摺(もじず)り 「みちのくのしのぶもじずり誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに」( 古今和歌集・小倉百人一首) 信夫(しのぶ)の里の文智摺り(もじずり)というのがよく分から
ここで一句。『早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺』 目の前で早苗を植える手つきを見ると、昔のしのぶ摺の手つきもあのようであったか。 『信夫文知摺(しのぶもちずり)石』とは、この地が綾形石の自然の石紋や綾形、しのぶ草の葉形などを摺り込んだ「しのしのぶもぢずり /6/18 0048 百人一首 河原左大臣 源融 みちのくの しのぶもじずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに 陸奥の信夫の「しのぶもじ絞り」という乱れ染めの布の文様のように、誰かのために私の心は乱れてしまったのです、乱されP39 しのぶもぢずりの訳として、陸奥の信夫郡を挙げている。 『小倉百人一首』(藤縄敬五著 有朋堂 1992) p 該当歌の語句の説明によると、「信夫もぢずり」の意味として、「陸奥の信夫郡(福島県)から産した乱れ模様の摺り布(後略)」とある。
忍摺り/信夫摺り(しのぶずり)とは。意味や解説、類語。シノブの茎や葉の色素を布にすりつけて表したねじれたような模様。また、そのすり模様の衣服。昔、陸奥 (むつ) の国信夫 (しのぶ) 郡(福島県福島市)で産した。もじずり。しのぶもじずり。ユニークしのぶ もじ ずり しのぶもじずりに心みだれてネジバナ神代植物公園 多摩と 百人一首14 メロディ付き歌って味わう百人一首 河原左大臣陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われなら芭蕉は「しのぶもじ摺」に期待してこの地を訪ねたのですが、実はとうの昔に途絶えていました。そして詠んだ句。 早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺 (さなえとる てもとやむかし しのぶずり) <句意
もじ摺り(ずり)」の石です。 biglobe 芭蕉が、奥州街道を外れて、わざわざ「しのぶもじ摺り石」を見物に行ったのは、「信夫(しのぶ)」の里が有名な「歌枕」であり、そこに「文知摺石」があったからに外なりません。
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